2010年8月8日日曜日

8月8日遍路行一日目

四国霊場88箇所巡拝前半の阿波・土佐二国打ち

一日目 平成18年8月8日(火) いよいよ始まる覚悟(?)の旅

 片雲の風に誘われて旅への思い絶ちがたくでもなく、自分探しの為でもなければ、癒しの旅でもない。60年の人生で初めて得た、まとまった時間をどのように利用するかと、まずは考えたとしておこう。勿論、敬愛する両親の眠るこの四国の大地を歩むという思いはある。修行の遍路とは敢えて言わず、「遍路道を歩く」と題し、道中で起きたことを淡々と記していこう。食事を終えた宿では何もする事がないから、折角持参した小型パソコンを活かすためにも自分を追い込む。とにかく何かをしていなければ駄目な人間である。「ボーッ」として何もしないことは自分には苦痛である。「ここが直れば良いのになぁー」と自分では分かっているのだが、もう還暦である。そのタイミングは過ぎ去っただろう。好きなように生きていきたいと思う・・・。デジカメで撮った写真の取り込みと旅日記を綴ることを「我が仕事」としてこの先進めよう。果たして歩き遍路はどこまで続くか?

 ① 午前5時30分起床。シャワーを使い6時10分自宅を出る。一便早い7時発のバスを期待。運良く予約8時10分から変更可能で7時発のバスのチケットを入手。ところが乗る段になって我が質問に答え、運転手曰く札所一番は高松行きの鳴門西が便利とのこと。「えー」という感じで鳴門・徳島行きの高速バスから高松行きの鳴門西インター経由7時25分発のバスに変更。窓口の人「そう言えば聞いたことあります。鳴門西からだったら歩いて行けます。」と「早く言ってよ!」と。更に更に続けて「変更料金は今回は良いですから。」と。400円バックで3200円の切符。無事乗車。


 ② 鳴門西9時30分下車。高速道から一般道に降りたところが、何と直近で観た映画「バルトの樂園」の舞台とは。「板東俘虜収容所」の看板のある跡地が高速道路の駅の側であった。番外の小さな喜び。映画を思い出しながら写真を撮る。そこから歩いて30分、1番札所霊山寺に到着。「門前一番街」という阪急みたいな名前の門前のお店で全ての装束を揃える。最近、民主党管直人が来たとのこと。僕にもそれくらいの風圧を感じるとの事らしい。どうも少し他の「歩き遍路」とは雰囲気が違うと言うのだ。「ただ者ではない。」と言われてしまった。何か変な感じ。一番札所のお店の女主人、今年60歳、恐らく若いときは美人であったろうと想像されるが、ぴったり寄り添う感じで、とにかく何でも良いものを僕に勧める。都合締めて47600円。最後は霊山寺の門前まで付いて来て写真を撮って呉れるという。おまけに次の宿を自ら決めて電話予約までしてくれた。「至れり尽くせり」とはこのことだろう。


 ③ 初日は一番から五番まで歩く。これが相場と言う。約12キロ。最初故慣れず、落ち着かず。それでも覚悟を決めて参拝は形通りに運ぶ。結構とまどう。手順があるのだが慣れないのである。汗だくだく。四国の暑さは大阪と少し違う。台風の影響があるのか、風が強く、菅笠が幾度なく飛ばされそうになるが、日差しは強く、ひりひりと肌を焼く暑さである。しかし体は水をそれほど求めない。どうも少し勝手が違う。


 ④ 2番極楽寺:時間は正午12時を回る。接待所の方のすすめでお弁当を頂く。大きな粒のお豆さんが入った、ばら寿司風で量は少ないが結構いける味。400円、お店の人曰く「お寺の奥さんがお遍路さんの為に作ったもの。3番まで何も食べるところが有りませんから。」と確かにその通りであった。湯茶と茶菓子が付いている。人当たりは良く優しい感じ。素直にお部屋を使い中食。2番札所を打ってようやく感覚的なものが見に付いてきた。


 ご本尊は阿弥陀如来でご詠歌は詠う。


「極楽の弥陀の浄土へ行きたくば、南無阿弥陀仏を口癖にせよ」。立派なご本堂であった。


 ⑤ 3番金泉寺:些細な事件発生。自動販売機でお金を入れるも品物は落ちず。だから金銭寺かなーんて!。しかし腹立たず、少し早いがこれもお大師様の影響、思し召し、「喜捨」と考えればと後にする。ところがその後また事件は連続して起きた。次に見た販売機でポカリスエットを押した積もりが、コカコーラがドスンと落ちてきたのには幾分落ち込んだ。押し間違えである。初めての経験。やはり暑さと疲れで、どうも普通ではないなと。白装束の遍路にどうもコークは似合わない。


 ⑥ 4番大日寺:このあたりから歩き遍路に良く出会うようになった。というより落ち着いてきたのだろう。恐らく満願のお礼参りに88番から一番に向かっているお遍路さんか。様々な人がいる。色々あるのだろうなと。お盆前だからか参拝者は少なく、このお寺の納経所の人が親切で色々と教えて呉れる。時間があればこそでしばらく立ち話となった。


 ⑦ 5番地蔵寺:今日の打ち止め。番外霊場「五百羅漢」が素晴らしかった。特に僕には羅漢様が腹を割いて腹の中を見せている「腹見せ羅漢像」に大きな感動を覚えたのである。腹の中には何も隠すものは無いという生き方を僕は今まで心がけてきた積りであるが、それが時に物議を醸す。しかし時には「言わぬが花か」。


⑧ 一番札所の女将さんが予約してくれたお遍路宿「寿食堂」に到着,5時。ホットする。泊まり客少なく、1人部屋。100円で洗濯機が使え、替え着はあったが穿いていたパンツからズボンまで全部洗う。6時夕食、この暑さなのに何故かメニューは煮えたぎるお鍋であった。野菜主体で最後にうどん。最初の日でお祝いだと勝手に理由をつけ、今日はビールを3本も飲んだ。旨かった。30分後もう一組の親子連れが食堂に。宿のご主人はこの遍路社会では有名なお方らしく、快活なお人柄。食堂で3組の談論が始まる。親子連れは男親と30歳を過ぎた息子らしく、この人がどうも普通とはいささか違う感じで議論にとまどったが、お遍路にはそれなりの理由があるのだろう。


⑨ 21時携帯が鳴る。某府議会議員から。明日議会で又「民間人校長問題」をやるという。又明日の夕刊かあさっての朝刊に名前が出るかも。もうどうでも良いのに。この問題はもう卒業だ。


⑩ 明日は11番藤井寺までの予定。相当しんどいらしいが、この遍路旅の為に揃えた靴と服装は大当たりだった。今日のところ足のまめは出来ず。吸湿速乾の素材であるインナーとミズノ製のズボンは大変具合が良い。ものの本の示す通りであった。重いザックで背中が痛いがまだいけそう。野宿とか無料の宿泊所である「善根宿」とかあるが、自分には当初からその積もりはない。巡拝は88の札所の点とそれらを結ぶ線の連続であり、この間が敢えて言えば修行の道と考えれば、今の自分の境遇で出来るがままにして良いと自らを納得せしめる。風呂に入り、疲れた体をもみほぐし、まあ心づくしの温かい食事を上げ膳据え膳で楽しみ、のりの利いた布団で手足を伸ばし、空調のある部屋で誰とも会話などなく、一人何かを想う、自由さは又自分に新たなことを気付かせる、考えさせる何かがある。野宿までして自分を追い込む必要はない。心地よく就寝。