2010年8月7日土曜日

8月7日(金)遍路行プロローグ


真夏の遍路道を歩く

 平成18年8月8日、別に意識して数字の語呂合わせした訳ではないが、四国霊場88カ所を歩いてまわる決心をし、この日、徳島県鳴門市の1番札所、「霊山寺」の山門に立った。

 本書は本年6月に満60歳になった1人の男が真夏の遍路道を歩いたつれづれを旅日記として纏めたものである。世にお遍路のハウ・ツー物や実践記は多くあるが、本書は“点と線”即ち「札所」の点とそれを繋ぐ線、即ち「遍路道」を完全に徒歩で繋ぎながらこの間、感じたこと、知り合った人々について勝手気ままに書き記したものに過ぎない。ただそれだけの事である。宗教観とか、お遍路の奨めとか、こうした方が良いとか、遍路道(これはへんろどうと読む)を申し述べる気は全くないし、その力もない。遍路道(これはへんろみち)を歩くという行為の中で得た様々な僕の受け止め方や観察そのものが私の今までの人生そのものを反映したものであろう。

形から入る:

白装束では家の近所は歩けない。都会、大阪ナンバの心斎橋をまさか「お遍路姿」で歩く人もいまい。しかし四国ではお遍路は「白装束」が良い。身分証明書である。姿形はどうでも良い、問題は心だという人もいるだろう。それはそれで別に悪くはないが、四国という空間ではジーンズにポロシャツで歩いていても四国の人は「お四国さん」「お遍路さん」とは思ってくれないだろう。難しく考える必要はない。郷に入れば郷に従えで良い。ある人は「コミュニケーション・ツール」と書いていたが僕は「身分証明書」と考える。別に四国まで来てコミュニケーションを考える必要はあるまい。

そうだ、最近、組織内ではやっている首からぶら下げている身分証明書である。他国の人がまったく知らない国を、それも田舎の限られた地域や部落の中をとぼとぼと他人の家の前を歩いているのだ。人によっては角付けで托鉢に立つこともあろう。私は「お遍路」ですという最も効率的なパスポートは「白装束と菅笠と金剛杖」である。ズボンや靴などはどうでも良い。三点セットは三種の神器と思って身に付けることで余計に速く「お四国」という空間に溶け込んでいった。

この装束に身を固めることには最初から本当に恥ずかしい気持はまったく起きて来なかった。それよりももう始める覚悟である。あれこれ言っても仕方がない。後はやるだけと決断すれば行動が早くなり、それは覚悟となる。諦めと言っても良い。背筋がピンと張った感じにある。形から入ることがもう60年の人生で体に染み込んでいる。僕は「仕事でもなんでも形から入っていく」のである。

一番札所の霊山寺の傍にあるお店で揃えたのだが、そこのおばさんは、大きさなど吟味してくれ、全て揃えて、身に付けた時に言った言葉は「ものすごく格好ええ!管直人みたい」と言ってくれた。当時民主党代表を辞任した管直人現総理大臣もここでしつらえたと言う。又「ちゃんとした服装のお遍路さんはちゃんとしたお接待を受けますよ」とも言われたが、事実そのとおりであった。

古い表現であるが「身繕い」は重要である。又確か室戸へ向かって1人歩いていた時だったと思う。対向車線の車の運転手が僕の方を見て窓を開けて冷やかし半分だろうが「格好ええで!」と叫んでくれた。国道の舗装道路の端をもくもくと背筋を伸ばし、しっかりと歩いている姿がその人には絵になって見えていたのかも知れない。(顔は菅笠で隠れているし・・・。)この影響で彼は将来ひょっとしたら遍路にトライするかも知れない。それで良いのだ。くたくたのよれよれは、見る人にとっても良くない。特に歩き遍路には姿形は重要と知るべしか。輪袈裟など付けたら心もピンとする。最初は付けて歩いて居たが汗でベチャベチャになり、10番位からお参りするときだけに付けるようにした。

歩いていて思った事だが完全武装した人はそれなりにしっかりと見える。人によって千差万別である。杖の無い女性二人組み、笠を持たない大学生、色々と居た。しかし白衣は揃って身に付けていた。これだけでも良いのかも知れないが、僕には今一つと思えた。不完全さが消えないのだ。

動機は:

動機などどうでも良い。人ぞれぞれだ。僕にも人に言いたくない心の葛藤はある。特に今年3月思いがけないことで職を辞した。59歳であった。だから遍路に出たと言われたくはないが、影響が無かったとは言えない。しかし、それだけではない。随分と昔から時が至れば遍路道を歩いてみたいという気持があったのだ。

・ 四国は母の故郷で敬愛する両親が晩年を過ごし、高松の地にお墓がある。僕は小さい頃、大きな農家であった母の実家で育ったようなもので四国は大好きだ。今でも妹は嫁いで高松市にいる。 両親も車であろうがお四国参りをして、納経の掛け軸が僕の家にある。 僕の宝だ。何時か両親のように四国をまわってみたいと考えていた。

・ なにより僕は歩くのが好きだ。僕の歩きはもう30年の歴史がある。他国が好きで、人が好きで、食べ物が好きでとにかくじっとしておれない。何でも体を動かして、体全体で実感したいのだ。 旅行に行っても国内内外を問わず、僕は歩く。すでに熊野古道はものにした。この道も同じように古い。相手にとって不足は無い。1200キロの完全踏破は歩き人にとって最高の舞台である。 今、発生した自由な時間をあれこれ、ぐずぐずくだらぬ事を考えて潰すより、真夏に遍路道を歩く方が後で振り返って評価できるかも知れない。決行するのは今だと考えたのである。

 現代人のお遍路の目的は何であろうか。あまり好きでないが流行言葉流で言えば、自分探し? 癒しの旅? 人生のリセット、祈願、供養、懺悔、心の平安、様々であろう。それで良いと思う。他人がとやかく言うことではない。僕などは厚かましいもので、以上の書いたもの全てだ。ただ物の本には巡拝は「感謝のまわり」という人もおられる。今まで生かして頂いたことへの感謝、現在あることへの感謝がまず第一という。しかし「ただ感謝」これだけで1200年四国遍路が続いてきたとは思えない。その目的その意義は、霊場巡拝したそれぞれの方がそれぞれに考え、それぞれに受け取るものである。そのような文化伝承が今日まで「お遍路の形」を残してきたのではないかと考える。遍路をしていて「何かご利益を得ましたか」「癒しになりましたか」などは愚問であると私は考えた。

 精神世界へと:

  1番札所霊山寺にて購入した菅笠には以下のような墨書きがある。:

            迷うが故に三界は城

            悟るが故に十方は空

            本来東西無く

            何処にか南北あらん

又、金剛杖には「南無大師遍照金剛」の御寶号と278文字からなる「般若心経」が書かれている。そして両方に「同行(どうぎょう)二人(ににん)」の言葉がある。形は白装束であるが、まさしく精神は「一笠(いちりゅう)一杖(いちじょう)に身を託して」の言葉のとおり、菅笠と金剛杖に全てが書かれている。僕はこれらの言葉に「ふわぁーっ」と温かく包まれた。言いようもなく落ち着き、覚悟が定まり、心が素直になり、遍路の精神世界に入っていくことが出来た。これから先が楽しみになってきたのである。果たしてこの先「どんな事になるのだろう。」

こだわり、理想主義者、完全主義者、燃える男、パワフル、圧倒的存在感、スピード、実績の男、行動派、武闘派、結果第一主義、自意識過剰 等々、欠点だらけの僕は今日まで様々に言われて来たが、1200キロの遍路道を歩いていく中で、還暦を境として生まれたままの一人の人間に戻れそうな気がしてきた。

お大師さまは、これから始まる私の1200キロの完全歩き遍路を共に歩いて下さりながら、私をどのように観察され、指導されるのであろうか。謙虚になってこれから起きることのすべてを受け入れてみようと思う。