2010年8月13日金曜日

8月13日遍路行六日目

六日目 8月13日(日)   山田さん(仮名)と歩く


山田紀夫さんは聾唖者である。これから二日間山田さんとズーッと一緒に歩くことになる。山田さんとは5日目の宿舎「鮒の里」で一緒になり、囲炉裏を囲んだ夕食で席が隣になったことから話をする(?)ようになったもの。最も客は例の大学生と3人だから私を中心に左に山田さん、右に大学生となる。19番立江寺から20番鶴林寺、21番太龍寺を目指すことになるが延々20キロの山道踏破である。一向に気温は下がらず、雨一滴も落ちない。炎熱地獄のような歩き遍路である。この苦しさ、辛さは歩いたものでなければ分からない。

 山田紀夫さんは明石にお住まい、ご本人曰く7年前に奥様を亡くされ、歩くことになったという。それ以上はコミュニケーションが取れない。又こちらも知る必要もない。私と同じく歩き遍路で「区切り打ち」、今回は8月15日に明石に戻るとのこと。


② 22年生まれで59歳、宿の主人も59歳、私が60歳と言うことで、こういうことに感激されるらしく、この事実を知った時点から親しみ易くなってくる。山田さんの全てのアレンジは宿の主人が曰く、女の人が何回も電話して来て「これこれだから宜しくお願いします。」と。妹さんではないかと言っていた。山田さん、本当に何も喋れず、聞けず「ウー、アウー」とかの言葉だけである。従って宿への連絡などは一切出来ないため、事前に徹底して予定を組み、その通りに動かなければ遭難する羽目になる。詳細な地図を肌身離さず、予定通りに動くことが義務付けられている。しかしこの事は歩き遍路には辛い事で体がどうなろうとも、何が起きようとも、そのように動かねばならない。変更などしようものならその後の行動が取れないのである。


③ 早速問題が発生。山田さんの予定は絶対に無理と宿の主人が断言する。山田さんの予定は21番太龍寺を打った後、更に22番平等寺まで行き、そこの山茶花という宿を手配しているとのこと。21番から22番までは11キロもあり、どうするのかと。「宿の主人、絶対無理。」と言って聞かない。色々議論があったが僕が明日は一緒に歩き、もし行けるなら行けば良いし、無理なら21番近くで僕と同じ宿舎で泊まれば良いとの結論になった。後で気づいたが僕が山田さんの身柄の責任を有することになった。責任重大である。


④ 山田さんとは紙に書いて会話は出来る。このことが救いである。重要な事は紙に書いて話をする。笑えば笑顔が素晴らしく、身体に障害はあるがお人柄はとてもよさそうだ。明日の同行3人はどのようなものなるのか。宿の主人と山田さん、僕の3人があれやこれやしゃべっているにも関わらず、大学生はただ黙って旨いのか旨くないのか、飯を口に運んでいる。全然周囲の雰囲気と合わない。


⑤ 宿の朝食6時30分、支払い7000円。7時出発、大学生はまだ朝飯を食っている。「後で来いよ。宿は取っておくから。」と言って山田さんと二人で出る。これ以上は待てない。とにかく歩き遍路は早朝が勝負で朝の時間帯に距離を稼いでおくのがポイントである。僕は大学生はどうせ我々に付いて来られないと考えた。ここで大学生の名前を知る。xxxx、携帯の番号もお互い交換した。このようなことは僕のスタイルではなく初めての事である。


⑥ 山田さんと歩く。ただ歩く。会話は全くなし。僕が2メートル先でその後をピッタリ付いてくる。僕が斜めに道路を横切ればそのように横切る。ペースを落とせばそのように調整する。服装は立派なもので、何処にも隙はない。大学生は下のズボンはジーパンで、汗で色が変わり見るからに暑苦しそう。山田さんは軽量登山用のズボン。大学生に「暑いだろう、もっと軽量吸湿速乾のズボンにしたら」と要らぬ世話を焼いたが「僕、ジーパンが好きなんです。しかし汗で脚を占め付けます。」と平然と言う。僕はとにかくジーパンが嫌いだ。一本も持っていない。




⑦ 人間が居てその間に会話など全くない。そのような関係で二人は同じ目的、ただ目的地に向かって歩くだけの関係などまったく初めての経験。ところがこれが至って心地良いのだ。1人で歩くのと二人とは全く異なる。ローソンでアイスクリームをご馳走する。アイスクリームは僕の大好物で糖分、塩分、カロリーもあり、体には良いのだ。山田さん、美味しそうに食べて呉れる。「アリンガ・・」に聞こえたが「有り難う」と言っているのだと思った。




⑧ 宿の主人の判断は正しいものだった。21番を打った時の時刻が3時30分、これから10キロ歩ける訳がない。僕が電話して太龍寺近くの「龍山荘」を大学生と3名分予約。(大学生、結局遅れに遅れて我々が夕食を住ませた7時頃宿に到着。)山田さん、今日予約している宿のキャンセルを気にしている。ところが僕のDOCOMOも山田さんのAUも圏外で役に立たず。結局宿の電話を借りて私が替わってキャンセルした。この辺のやりとりを観ていた宿の主人は「木村さん、親切だね。」と気に入って貰った。そこまでの話ではないのだけど人から褒められるのは良いものだ。そういえばここ何十年人から褒めて貰った記憶もないと気づいたのである。「褒めることは良いこと」だと心に入れたのである。




⑨ 山田さんは健脚である。長身でやせ形、脚は長く、強靱な感じがする。ただお年の割にお顔は少し老けているのか、良く分からない。とにかく僕より1歳年下である。夕食時は必ず一本ビールを飲む。ご飯もしっかりと2杯はおかわりする。洗濯もお風呂もさっさとやる。必要なら自動販売機で欲しいものは手に入れる。余裕があるのだ。そこが僕には嬉しい。団塊の世代であり、辛い苦しいことも合ったと思うが、厳しい競争の中を生き抜き、乗り越え、一生懸命仕事をしてきて、これからと言うときに奥様を亡くされ、恐らくこれが契機となって歩き遍路に挑戦しているのだ。毎日宿に泊まる余裕の生活ができるのだ。山田さんには人間としての品がある。僕は品位という評価項目を気にする。山田さんは立派である。



⑩ 山田さんのお陰で今日の僕は元気、負けないように歩きに歩いた。今日の道は4日目に報告した11番から12番の遍路転がしと言われる難行苦行の道と僕が表現した道よりも厳しい。それでも極めて早いペースで二人は走破した。私は山田さんと戦友のような感じを持つようになった。宿に着いた後、順番は決まっている。僕が洗濯し、乾燥機に入れる。それから山田さんは洗濯する。二人で風呂に入り、一緒にビールを飲む。言葉はないが手順が決まっている。



⑪ 山田さんは本堂、大師堂でちゃんと納経する。「ウヤー、ガー・・」言葉として我々には何を言っているか分からないが大きな声で納経される。立派な振る舞いです。何処が良いのか、ズーッと考えていたが、ようやく「謙虚」ということに気づいた。身体障害者であるからか控えめであり、謙虚なんだと気づいた。出しゃばらないのだ。自分を知るだけに身の振る舞いには健常者とは根本的に異なるものを有している。勉強になりました。


⑫ 途中から別の若者が我々の後を付いてくるようになる。昨夜山梨から深夜バスで徳島入り、29歳の社会人、これは礼儀正しく見るからに好青年、お盆休みを利用して前回の続きを考え、今日入ったとのこと。初日でしんどいしんどいと。結局3人で歩くことになった。順番は木村、山田さん、社会人君の順序、男3人順列の歩き遍路は観る人には迫力あったかも知れない。競歩みたいに快調に飛ばす。若いサラリーマン君曰く「早くて付いていけませんよ。学生時代、山岳部でも?」と聞かれたので、心の中で言ってやった。「団塊世代は強いのだ。」と。


⑬ 先週に比べお遍路さんの数が多くなったように感じる。お盆休みの利用なのだろう。それでも歩き遍路は極めて少ない。「オフシーズン」なのである。秋遍路,春遍路と言い、真夏の今、四国遍路にくる人は少ない。札所の駐車場は白く乾ききってがらんとしている。


⑭ 先週の終わりくらいから一部の家々の玄関には灯籠が飾られ、通りには自転車、バイク、車の中にお坊さんの姿が見えるようになった。お盆が来たことを確実に知る。稲穂は既に頭を垂れ初めて来ており、風の匂いが少しずつ変わってきている。まだ風の中に秋を知るというわけには行かないが、四国の稲の取り入れはもうすぐである。いつまで遍路をするのか、何時帰るか、今度何時くるか、考えながらただ歩いている