2010年8月11日水曜日

8月11日遍路行四日目韋駄天歩き

四日目 8月11日(金)   韋駄天?歩き




 7時、宿を出発、一路徳島市を目指す。13番大日寺を目標に、歩きに歩く。昨日の疲労は回復し調子が良い。何事も最初の三日間が勝負であることが分かる。昨日の遍路ころがしを踏破したことが自信に繋がり、足取りが軽いのである。誰が決めたか知らないが本当に良く出来ている遍路道であることが分る。歩き遍路の最初の関門は三日目であった。三日間をこなせれば後は何とかなるような気がしてきたのである。今日の最初の札所大日寺までは大師ゆかりの番外霊場が多くあり、変化にも富むコースであった。今夜の宿は徳島市内のビジネスホテルとし、久しぶりに都会の金曜日を楽しみたいと思えば、心が躍り、歩きは韋駄天となったのである

 

① 「なべいわ荘」支払い、7665円。7時出発、最初は急峻な山道が1時間続いて、体中の汗が流れた後は何故か、体が軽くなる。それから以後は喉が、体が、水を求めればお茶とスポーツドリンクを交互に飲む。バランスが取れてきた感じで恐らくマラソンの選手が中途中途で水を飲み、体の調子を整えるに似ていないか。徐々に調子が上がる。


② 道はなかなか味のある名前を有する“鮎喰川(あくいかわ)”沿いの国道でうねりと起伏が適当にあり、川を横切り、又元に戻り、山里を抜けたり、変化に富んだもの。総距離は21キロ、実にこれを快調に脚を進め、11時45分には大日寺に到着。途中で3回の小休止を入れたが、これは極めて早いペースではないか。毎時4.4キロのペースである。





③ 番外霊場に「杖杉庵」というのがある。伝説に四国遍路の元祖と言われている衛門三郎最後の地として知られており前非を悔いて弘法大師に許しを請う場面が像となっている。この三郎が最初の「逆打ち」をした人物とされており、逆を回れば「お大師様にお会いで来るだろう」と考えて逆に回ったというのである。



④ 14番常楽寺、15番国分寺、16番観音寺、17番井戸寺と続けて打つ。徳島市内の札所全てである。前半のハイペースが祟って井戸寺ではさすがに疲れがピークになり、もう歩くのは「嫌,厭」になったが、納経をした後タクシーにて市内中心部にある、ワシントンホテルプラザに向かう。今日は民宿、遍路宿とおさらばだ。大体民宿は悪くはないが、朝のシャワーが許されてないのがいささか辛く、この点ホテルは外食、バスは何時も使え、エアコンも使い勝ってが良く、自分には合っている。



⑤ まずバスを使いさっぱりした後、タクシーで郊外にあるパソコンショップに、最新デジカメを購入に行った。持ってきた冨士のものは悪くはないのだが重いのだ。ザックの中の鉛筆一本の重さが気になるようになってきた。余分のものは整理し、1グラムでも軽くなるようにと思うようになる。まさしく本に書いていた通りだ。ところが持参しているパソコンとの接続に課題があり、今日の事には成らなかった。チャーリーという量販薬店が前にあり、エアーサロンパスと、シップ薬を購入。夕食はホテル近くの焼き鳥屋で一杯。食事は別のところで、久しぶりに大阪を思い出してお好み焼きにビールとした。いずれも安くて旨く満足したのである。街の通りは明日から始まる「阿波踊り」の桟敷が用意され町全体が既に浮かれ始めている様子で、金曜日でもあり、僕は久しぶりに都会のにぎわいを味わう。疲れた体を癒すように都会の風が体を通り抜けていくのだ。


⑥ ところがここで一大事件発生。携帯電話を紛失。多くを書くまい。夜11時頃手元に戻る。さすがDocomoでした。タクシーの中に忘れていました。大慌てしました。やっぱり浮かれると駄目だな。この事件で徳島に日曜日は居残って阿波踊りでも見ようという気を無くした。明日は予定通り次の札所に向かって出発する事を決意。


⑦ それにしても携帯電話がその日のうちに戻って幸運だった。一時は焦った。どうなることかと落ち込んだ。現代の歩き遍路にとって携帯電話は命の糧である。これで宿が手配できるのである。それにしても昔のお遍路さんは大変だったと思う。必然的に野宿や口コミの善根宿を使うしかなかったのである。便利な時代になったがその便利なものが増えるに従ってリスクも増大してきているのである。


 ⑧ ところで現代歩き遍路には携帯電話のみならず、ありとあらゆる資料集や解説本が世に出回っている。中でもベストセラーと言うかほとんどの人が保有しているブックは「へんろみち保存協会編」の「空海の史跡を尋ねて四国遍路ひとり歩き同行二人・地図編(2500円)」と「解説編(1000円)」の2冊である。僕も出立前に入手しこれだけを頼りに歩いたのである。道順と札所近くの宿が掲載されており携帯電話と同等に重要な持ち物になっていた。「優れ物」であった。これがなければ一人では歩けなかったと思う。観光バスに乗って団体で案内付の遍路集団と歩き遍路は根本的に違うのである。「遍路を味わうには一人で歩き遍路に徹する」に限ると思う様になってきている自分に気づくのである。