2010年8月6日金曜日

H22.8.6日(金)予告:新校長日記番外編始まる!

・ 6月20日にブログ校長日記をしばらくの間休止することを決めたがその後多くの人ら「どうして?」「続けて欲しい」などのお声を多く頂いた。休筆宣言の理由は単純で丸々3年ほぼ毎日書き続けてきたから、ボツボツこの辺が一つの「節目・区切り」と考えただけに過ぎない。
・ このときに内外に宣言というわけでもないが12月1日からは再開したい旨記し、また8月と10月にはスポット的に散発の校長日記を仮に出すことも明らかにした。その日が近づいてきている。
・ 7月からは本校の広報情報委員会のメンバーは校長日記に置き換わる新たな企画として「校長ウォッチ」という欄を考えてくれた。これは言って見れば「文章のない写真週刊誌」みたいなものを発信してくれている。
・ しかしこれは前の校長日記に比べて反響は今ひとつでやはり私の日記はあの長たらしい文章が味であり写真発信では校長の考えが分からないと言われるのである。中にはそこまでサービスしなくても良いではないかと言ってきた人もいた。
・ まあしばらくは充電期間ということで少し貯蓄する時間も欲しい。しかし民主党の体たらくや橋下知事の発信はますますもってラジカルになっていておりこれらに対抗するために教育現場の言論人(?)として発信したい内容は膨れ上がってきているのも事実である。

・ さて8月7日から単発の校長日記を発信することにした。内容はここではまだ書けないが興味ある人々にはそれなりに考える対象を与えることになるかもしれない。直接に教育問題という中身ではないからちょっと逡巡するものもあったが「人間木村」の理解には繋がるかも知れないと思って決心した。
・ 私の家は代々曹洞宗を家の宗教にしており、祖父も両親もその流派のお寺さんに導師を務めて頂き、永平寺に永代供養も済ませている。両親の時は自分で運転して永平寺に分骨を持って行ったのを周辺の風景も含めて明確に覚えている。
・ もちろん私の家は普通のサラリーマンの家だからお盆や命日法事くらいしか仏式の生活様式はない。もちろん家には神棚があり、大晦日の大払いとお正月には神棚を掃除し元日には家族総出で神社に初詣を欠かしたことはない。
・ その私が今から3年半前に神社神道を建学の精神に据える学校法人に理事長・校長として招聘され着任した。今明らかにすれば多くのお誘いの中から浪速に行こうと決断したした理由の一つに神社神道の学校というものに惹かれたということもあった。
・ そしてこの3年半の間、神社神道の学校への違和感などなくてどちらかといえば前傾姿勢、幾分前のめり気味に神社神道の精神の復活を図って来たといえる。その詳細は今までの校長日記に詳述している。
・ それまではどちらかと言えば神社神道の学校であると言うことを隠すとまでとは言わないが積極的に説明しないという引けた姿勢であったが私は全面的に改めた。公立・私立入り乱れての生徒獲得競争にある大阪府高校界にあってこれほどアイデンティティのはっきりした学校はそれだけで何事にも代えがたいアドバンテージを有していると私は考えたのである。
・ 学院神社の杜を整備し、「学院神社拝詞」と「浪速生活の綱領」を新たに定めた。また従来の「春と秋の例祭」に加えて新たに新年1月には「新春拝賀始業式」を重要な学校行事に加えた。
・ また建学以来初めて「自らの手で神道科の教科書を編纂」して本年度から使い始めている。クラブ活動においても雅楽部を作り積極的に支援してきた。その他本校独自の絵馬など作成したり学校案内などにも強く神社神道の学校であることを前面にうちだしたのである。
・ 私を浪速に迎えるに当たって大阪府神社界の中には木村改革と神社神道の学校としてのアイデンティティとの整合性を心配する向きもあったのではないか。それだけに私は神社神道の精神の勉強と実践にこだわって前述したように「同時平行で学校改革を進めてきた」のである。
・ 日本の文化・精神構造そのものが神社精神のそれから進化してきているだけにこの4年間弱この学校の校務運営と大阪府神社界の神職の方々とのお付き合い、府内の神社のお祭への参加などは私の内なるものに大きなものを与えていることを実感している。
・ 本校では57年間にわたって連綿と続けてきている高校1年生の「伊勢修養学舎」という重要な学校行事があるが、今年も私は二日間、早朝生徒とともに五十鈴川にて禊を行った。今やこの行事は私にとって1年に一回なくてはならない私の決意と覚悟を再確認する重要なものになっている。
・ もし人に問われたなら「今が一番幸せ」と答えるだろう。それくらい浪速に来ての3年半は充実し、成果を明確に確認できるものであった。そして今私は生徒・保護者や教職員や寺井名誉理事長や南坊城理事長職務代理はじめ大阪府神社界の皆様に対して「感謝の気持ち」が溢れてくるのである。
・ 特に6月20日にブログの休止宣言をして以来その思いが益々強くなってきている。12月1日にもし校長日記が再会されたとした場合、そのスタイルは果たしてどのようなものになっているのだろうか。我ながら大いに興味がある。

・ 明日から発信する新校長日記は浪速に来る直前での経験を「タイムスリップ」して発信するものであるがこれは過去3年半の浪速改革の原点になったものである。そのように考えて読みきって頂ければまことに有難いと思っています。いよいよ「8月7日から新校長日記の番外編」が始まります。