2010年10月17日日曜日

10月17日(日)遍路行後半戦 十七日目

伊予・讃岐二国打ち十七日目(通算三十八日目)


10月17日(火) 遍路行   遂に高松市に入る



 善通寺において久しぶりの宿坊を満喫した。今日も五つの札所を打つ計画であり、本日の最後の目標札所は80番国分寺である。母の実家に最も近い札所である。遂に高松市中心部に入ることとなった。僕の第二の故郷である。感慨深いものがある。

① 善通寺についてもう少し、774年、地元の有力者,佐伯善通卿と玉寄御前の子としてこの地に弘法大師は誕生した。幼名は「真魚」(まお)。神童として謳われ、多くの逸話が残っている。31歳で唐に渡り、密教の伝授を受け、帰国後最初に作ったお寺がここ善通寺である。その後高野山、東寺を建立。とにかく今日の日本の形を作った英傑、偉人,先達、思想家、宗教家、経世家、医学、文学、書道家などなど、すごい人物で、このような当に偉人を出した「四国はえらい!」と思う。何故なら「空海を生んだ土地だから」と私は言いたい。日本が世界に誇れる人間の一人だと確信しているからである。今から1200年前のことで、脈々と空海の教えが今日行き続けているのがとにかくすごい。


② 6時から朝の勤行があり宿坊宿泊者の特典とも言うべき利点で僕も出席したが、20人のお坊さんと共に唱えるお経は心地良いものでした。それに100人を超える団体のお遍路さんもいるからそれは壮観であった。お大師がお生まれになったという地下を拝見でき、大師のお声を現代に蘇らせる試みがあり、直接弘法大師のお声を僕は聞いたのである。支払いは昨夜で5800円、朝食7時、出発7時15分。清潔で快適な宿坊でした。思い出に残る善通寺でした。


③ 金比羅さんは善通寺のすぐ側であるが、今回は外し、とにかく先を急ぐことにした。とにかく今日は結構しんどい計画で、8時30分76番「鶏足山金倉寺」、9時30分77番「桑多山道隆寺」を打った。ここで善通寺市を離れ、丸亀市に入るのだが何か快調で、10時45分には丸亀城の大手門に入り天守を見上げることが出来た。時間の関係で天守に登れないのが残念であったが素晴らしいお城を間近に見ることが出来た。竜野城主京極家が1630年初頭に再建したお城と書いている。


④ 一風変わった「土器川」という名前の川を渡れば宇多津に入り、ここも室町時代から管領細川頼之の領地として有名な歴史ある町である。丁度国道沿いに人で超満員な「うどんや」を見つけたので昼時でもあり昼食にした。お店の名前は「かな泉(せん)」と言い、確かに腰のある太い麺で大変に旨かったと思うが、香川県の讃岐うどんは大体何処でも美味い。


⑤ 14時15分、79番「金華山高照院」を打った頃が最も蒸し暑く気温は高かった。途中の茶店で冷えたところてんを食す。美味であった。ゆっくりとは出来ず次の目的地である「国分寺」に急ぐ。33号線の標識は遂に坂出市から高松市に変わたのが15時45分の頃である。これで先が見えてきたのでほっと一安心である。高松市国分寺町と地名が変わった。母の実家はここから直線距離で3キロもなく。親戚も多くこの近辺には居ます。何か両親を思い出して目頭が熱くなってきたのである。
⑥ 16時15分苦労したが遂に80番「白牛山國分寺」を打った。立派なお寺であった。天平十三年、聖武天皇の勅命で行基菩薩が開基した讃岐の国分寺であるが、戦国時代に長宗我部の兵火で本堂と鐘楼を残して消失したと言われている。札所も遂に80番台に乗り、後残すところ、八つの札所のみとなる。宿は門前の「えびすや旅館」で、気持ちよく迎えて貰った。香川に入って思うのだが、とにかく町や市が次々と変わっていく。高知や伊予は行けども、行けども町の名前が変わらなかったが、讃岐は飛ぶように変わるのである。それ故か、歩くスピードが速くなったような気がするのである。決してスピードアップをしているわけではないのだが、変わり行く町名につられて自然に脚が出ている感じなのである。今日もかなり早いペースで歩いたと思う。あっと言う間に過ぎ去る涅槃の道場讃岐の国ということである。
⑦ ここで昨日の旅日記の解答を記しておきたい。常識ある知識人は大体すべての人が『香川』と答える。僕もそうでした。ある比率で「愛媛」と答える人がいます。それは自分が遍路をしていて「良い思いをしたから」が理由の大半です。しかし答えは「徳島」です。四国霊場を牛耳っているのは実は徳島で1強3弱と、ある札所の御坊が言っていました。すべてが徳島で決められ、徳島は良いとこ取りをするというのです。勿論、道後の石手寺、善通寺など個々には有力なお寺もありますが、総合的には徳島らしい。東予、香川などは本州との橋が出来、日帰りになります。香川に至ってお遍路で言えば、先に3国でかすり取られた後しかないとその和尚は嘆いていました。とにかく「山持ち」が強いとのことです。大きな山を有している寺院は実入りも大きいらしい。以上の答えは数箇所の札所の責任者から僕が直接聞いたのですから、間違いはないのではないでしょうか。勿論善通寺は活気がある事はありました。しかし他の札所での評判は今一つです。いくら霊場の事務局があると言っても「自分のお寺が第一」だと非難しているのです。真言宗は「善通寺派」「智山派」「豊山派」「高野派」等々分派が多い。お大師さまも嘆いておられるのではないか。高知のことは誰も論評しないくらい話題にならない。様々な見方があって面白い。