2010年10月8日金曜日

10月8日(金)遍路行 後半八日目

八日目(通算二十九日目)



10月8日(日) 遍路行   道後温泉、俄か俳句師に変身


 「下駄はいて温泉町の宵の遍路衆」柳原極堂・・・松山の俳人

 今日は世の中においては日曜日で休息日、お遍路にも日曜日はあっても良い。仕事は午前に済ませ、道後温泉につかるぞ。古来お遍路は道後で湯にひたるのを楽しみにしていたという。僕の大好きな正岡子規と漱石の世界に一瞬でも浸るぞ。誰にも文句は言わせないぞ。気分が昨日からうきうきでした。

① 6時朝食。支払い7425円。天気晴朗にて風なし。絶好の遍路日和。秋と言うことで長袖やベストを持参したがまだ一回も使っていない。荷物になって困っている。長珍屋旅館、どんどん団体のおばさん遍路も出発していく。彼女たちは朝の早いのは気にならない。目が早く覚めるから。おばさんって本当に元気だなーとつくづく思う。


② まず番外霊場、文殊院を打つ。ここは遍路の祖ともいうべき衛門三郎の出身地と言われており、文殊院近くが生家だと言われている。お大師様に導かれ改心した衛門三郎は何代か後に小石を持って生まれ変わったという。逆打ちの開始者でもある。遍路世界ではで衛門三郎は知っておかねばならない名前である。八坂寺の近くには衛門三郎資料館などが出来ており、昨日僕はそこの主人と知り合いになり、名刺まで頂いた。江戸時代の納経帳など貴重な資料を多く見せて頂いた。大変勉強になった。

③ 良いことは続く。西林寺に至る途中で車が「スー。」と停まり、50歳前後のふくよかなご婦人が降りてこられ、パンでも召し上がります?と。「有難く頂きます。」クリームパン一個お接待で頂いた。まだ温かいパンであった。時刻は7時15分頃です。恐らく朝食用だったと思う。これが接待なのです。素直に喜び有難く感謝して頂く様になった自分に気付く。何時か自分が出来るときにはしっかりとお接待をしてお返しをしたいと思う。


④ 48番清滝山西林寺、49番西林山浄土寺、50番東山繁多寺、51番熊野山石手寺と連続して打った。極めて効率的で、88ヶ所がこのようだったら、良いのになーと思いながら歩いた。都市部はこのような所が多い。従って納経にも時間に余裕があるから慌てないのである。ゆっくりゆったりと進むことが出来ることは心に余裕をもたらす。



⑤ 51番石手寺、超有名な札所である。最も松山中心に近い札所で、何か東京の浅草寺に雰囲気が似ている。門前もにぎわっており、境内はお遍路だらけであった。3重の塔もあり、とにかく松山の札所には句碑が多くあり、中でもこの石手寺は多く句碑が立っていた。


身の上や み籤を引けば 秋の風                子規
伊予の秋 石手の寺の 香盤の海の色して 立つ煙りかな  晶子
身に染みるなー。

 ⑥ 時刻は丁度12時で、昔両親と来たのを少しずつ想い出す。あの時に来た記憶は大分遠くなって来ているが、それでも妹と4人で来た記憶は鮮明だ。あれ以来の2回目となる石手寺である。それだけに今回のお参りは僕が死ぬまで忘れることはないだろうと思った。人間は物事が分かる年、見える年というのがあるのだと思うようになったが、還暦前の僕は相変わらず未熟であることには変わりはない。でも若いときにしておかねば還暦となった時に人間としての厚みが、その分薄くなるのだと思う。やはり積み重ねなのでしょうね。門前で昼食にし、おでんに、てんぷらうどんを食した。帰りに焼餅を2個。小豆餡入りのお餅を鉄板で焼いたアツアツを食べた。名物ですから食べねばならない。
⑦ 今日はこれで終わり、宿に直行した。歩いて30分、松山ユースホステルと言い、一風変わったホテルであった。チェックインは4時なので入れなかったので荷物を預かって貰ってタオル一枚肩にぶら下げ道後温泉に僕は向かった。歩いて6分のところのあの有名な温泉はあり、良い場所にホテルを取ったのである。事前に研究しておいたからから運よく予約が取れた。日本最大、最古の公共温泉、公共銭湯ですね。入り方で値段が違い、僕は休息お茶つきで800円の部屋とした。良かった。体に良い感じが十分したのである。漱石の坊ちゃんの部屋というのも3階にあり、そこを覗いた。漱石は道後温泉が大好きでした。
⑧ 湯上りに町を ぶらぶら、子規記念博物館にも行った。30分の子規の映画をやっており、子規のことが大変良く分った。帰りに子規遺稿散策集を購入したのだが、この句集安くて、たったの200円であった。亡くなった父は晩年油絵絵画と俳句に凝っていたが、僕は絵画には行かず、焼き物に行ったのだが、どうも俳句には昔から関心がある。やはりこういうところは父の血を引いているのかなと思ったりする。遍路旅日記の前半に結構気に入った句を詠んでいる。
                哄笑し 涙をぬぐう遍路かな     智彦
                哄笑し 涙を隠す遍路         同
                哄笑し 顔を背ける遍路かな     同
 
松山・道後温泉で詠んだ名句は数多くあります。
    寝転んで 蝶泊まらせる外湯かな  一茶   
   夜更けて 米トグ音や キリギリス  子規
   半鐘と並んで高き 冬木哉      漱石



そこで私も一句・・・でもやはりまだ駄目ですね。勉強するぞ。

    お杖にも 道後の湯をと 遍路言う
    お杖にも 入って欲しき 道後の湯
     石手寺や 父母 憶う 秋の夕暮れ
    石手寺に 衛門三郎 わが身かな
⑨ つかの間の休息日となった。明日は厳しい日で30キロを超える距離を歩かねばならない。少し中弛みの感じで、これをホームシックと言うのかも知れない。16時頃、宿に帰った。又も元のペースに戻らねばならない。この宿のことは明日の旅日記に書きおきたいと思う。先週は秀吉がテレビですが死にました。あれから1週間です。時の経つのは早いなとつくづくと思います。