2010年10月20日水曜日

10月20日(水)遍路行 終に結願

伊予・讃岐二十日目(通算四十一日目)



10月20日(金) 遍路行    結願(満願)




 平成18年8月8日から始めた四国霊場八十八ヶ所巡拝も本日で打ち止めである。足掛け3ヶ月、前半の8月炎暑の中の阿波、土佐の二国打ち、10月1日から始めた、今回の伊予,讃岐の二国打ちも本日で結願となる。通算で41日、歩いた距離は1200キロとなった。思えばよく歩いたものだ

① 志度寺門前「栄旅館」朝食6時15分、出立6時40分頃、支払い、8250円。弁当を持たせてくれる。中身はおにぎり二個、ゆで卵一個、オレンジ一個、お茶缶一本、有り難い心遣いである。おもてなしとしては最高に近い内容を有する旅館であった。居て寛げる旅館、これが一番である。間違いなく寛げる旅館であった。


② まず6キロ、長尾寺を目指す。一人で先行する。道は分かり易く、志度寺から長尾寺、そして結願の大窪寺までは直線上にあり、このルートは古来遍路道としては有名である。江戸時代や明治時代の道標や路傍の「お地蔵さん」など極めて多く、まさにお遍路の道を感じる。


③ 8時30分、87番「補陀落山長尾寺」を打つ。このお寺は珍しく江戸時代初期、高松藩主松平頼重公が関わって天台宗に改宗している。真言宗ではないのだ。遂に残すところ一箇所、最後の札所大窪寺だけとなった。満願とも言うがどうも結願のほうが一般的らしい。30分遅れて残りの組が到着。すべて同世代の歩き遍路でこの3日間、共に歩いているグループだ。余裕の僕がここで待ち、ここから共に結願を目指す。3日も寝食を共にすると連帯感が湧いてくるものだ。手を携えて満願を期すスタイルになる。僕はどうもこのような形は気恥ずかしいところがあって、「うーん」という気がなきにしもあらずだが、同世代の男性遍路が乗ってリードするのでそれに合わせる。悪くはない。


④ 長尾寺から大窪寺までは結構難所で女体山という山越えである。標高500,770メートルの中腹を縫う様に歩き、最後に標高445メートルの女体山を越えれば大窪寺に至る。山を越えるときに開けてくる光景はまさに涅槃の地が眼前に開けてくる神秘性を有しており、言われる「涅槃の道場」を歩きながら満願に向かうという雰囲気に相応しい。

⑤ 途中に遍路交流サロンというところがあり、遍路資料館としての資料も充実して準備されている。民間の木村氏という方の篤志で経営されているものであるが、大きな模型が等縮倍であり、八十八ヶ所すべてが配置されており、ボタンを押せば場所が分かるようになっている。この四国全土にある八十八ヶ所をすべて歩いて回って来たと思えば「よく歩いたな」とう気持ちにはなる。ここでなんと歩き遍路には証明書と記念のバッジを頂く。「道の駅」もあり、余裕の気持ちでお店を見たりして、ここを11時30分に出発する。


⑥ 此処からが前述した最後の難所であり、距離は7キロ弱、上りの道であるが山道ではなく、舗装されており、苦しいということではない。歩きもこれで最後と思えば、足取りは軽くなり、一山の頂上付近で昼にする。旅館の心づくしのおにぎりが嬉しい。時間は14時になっていた。16時前、遂に結願札所「医王山大窪寺」を打つ。宿願相成り、結願寺ともいう。どういう気持ちかと今後聞かれるかも知れないから正直に書いておこう。特段何もない。遂に済んだか、ここまで来たか、良くやったな、無事に済んで良かった、多くの人のお世話と激励のお陰、何より、同行二人お大師様のお陰であるという素直な気持ちはあり、大窪寺では特に念入りに納経をした。物の本にあるような、「涙が溢れたとか、感極まった」とかは僕にはなかったがそれでよいと思っている。なんとも言えない体の軽さ、心の落ち着き、自分しか知らない表現できない心のひだ、優しさ、寛容、こだわり、様々なものが溶け合っていっている感情である。声を大にして「やったー!」など言う気持ちはさらさらない。


⑦ 納経時に大窪寺のお方に色々とお話をお聞きした。面白い話が多く聞かされた。讃岐の頑張り不足、阿波の戦略性がやはりここでも議題であった。明日霊山寺にお礼参りする無意味さを散々聞かされたが1番霊山寺の論理には勝てていない。僕は行くことに決めた。それでお四国が輪に、ループになるのだ。最後まで歩くことを決めた。八十八番大窪寺からから一番霊山寺まで37キロもあるが、やって見ようと決断した。その後大阪に戻るわけだから明日は大変な一日になるが、しかし出来ない相談ではないと思ったのである。
⑧ 折角だから大窪寺の発行の「結願」証明書を2000円で発行してもらった。けじめです。これを頂いて僕のお四国遍路は終わった。門前の民宿「八十窪」にチェックイン。お祝いでお宿心づくしのお赤飯がついていた。新しくリニューアルされた立派な民宿である。決願祝いだからと言っても、それほどは飲めなかった。ビールは大瓶一本、缶ビール一本だから、何時もより少ない。すべて終わって少し拍子抜けした感じか。これで良い。
⑨ 大窪寺には弘法大師が錫杖を納められたという言い伝えがあって遍路を結願した人々が自分の金剛杖を納める場所があったが僕は一生自分の身の傍に置いておきたいとの願望が強く、どうしてもお納めする気にはならなかったのである。天王寺に持ち帰ることに決めた。これから先わが身をお大師様が守ってくれるという人もいる。例の最後同行した同年代の男性でお杖が坂道で真っ二つに折れた男性は絶対にこれを家に持って帰ると話していた。
⑩ このようにして僕の遍路行は終わったのである。男60歳で1200キロを完全な形で39日という期間で歩き通せたことを誇りにして今後の人生を力強く生きて生きたいと思った。同時にさてこれで僕の充電期間は終わり、また学校現場で修羅の道を歩かねばならないと心に確認しても何か体と心が軽くなっているのはまさしく遍路行の修行のおかげかとお大師様に感謝している自分に気付いたのである。