2010年10月18日月曜日

10月18日(月)遍路行後半戦 十八日目


後半十八日目(通算三十九日目)



10月18日(水) 遍路行  両親のお墓に参る



 今日は両親の墓参である。久しぶりの墓参である。敬愛する両親に会える。今日はそれだけしか頭にない。

① 6時朝食、出発6時20分。支払い7200円。確かに今一つの感じがする民宿「はなびしや」であった。4人の客すべてがそのように感じていると思う。決して悪い旅館ではない。掃除は行き届いており、清潔であるが「落ちつかない民宿」、この一言に尽きる。

② ネットでも誇張して書かれているらしいが、女将さんが少し、きつく思えるのだろう。「サロンパス嫌いの女将」で知られているらしい。お遍路が疲れた足の養生で使用するサロンパスの匂いが布団に着くのが嫌らしい。ある女性客が、チェックインしてすぐ風呂、風呂が終わったらすぐ食事、少しゆったりした時間を取りたいのに次から次と女将さんが決めると嘆いていたが、分かるような気がする。あまりにもかっちり、自分のペースで進めるのも考えものだ。皆が食べているときに明日の道筋ルートを立ったまま説明する。我々は座って食事している最中である。背が170センチはあろうかという高い人でこのような立ち振る舞いは頂けない。僕が「あれっ、おかしいな」と気付いたのは、朝起きたらすべての部屋の窓を開けて回っていた。神経質な人であることがすぐ分かる。お顔にぶつぶつが何か出来ており、僕はアトピーではないかと想像した。だから歩き遍路のサロンパスなど嫌うのではないか。食事中に「明日親戚に不幸が出来たから朝食は6時にして欲しい」とこれまた立ったまま言っていたが(すぐ出立して欲しいということ)、客商売の原則を踏み外していないか。僕には決して悪くはなかったが、僕はこの種の女性は苦手だ。気が一部強いところがあるというのではなくて、基本が出来ていないまま、大人の女性になっている感じだ。


③ 遍路本では「香川の遍路ころがし」といわれている古道を通って81番「綾松山白峰寺」を目指す。標高300メートル、距離は6キロ強、順調に山登り、言われるほど厳しい山道でもない。阿波、土佐を経てきた者にはこれくらい何とも無いのである。朝の9時に打ち終える。女性陣が山門近くで売っていた「いちじく」を購入しお茶。野性味溢れるいちじくの味でした。今日は宿で一緒になった63歳の男性、東京、熊本の女性どちらも60歳近辺、3人で共に歩く。続いて82番「青峰山根香寺」、標高365メートル、距離5キロ、風は涼しく高原の日陰の歩きは快適である。お年寄りがきのこ取りに来ていた。同世代の歩き遍路の話題は豊富で会話しながらの歩きも久しぶりで面白い。11時40分、82番を打つ。到る途中今度は男性陣が峠の茶店でおでんをご馳走。香川はおでんを売るお店が多いのです。

④ 1時30分、山道を下り、JR鬼無駅まで到着。小さなうどんやで昼食。やはり旨い。ぶっ掛けうどんを食す。2時頃飯田町遍路休憩所で呼び止められしばし休息。大きな蜂蜜漬けの梅干とお茶のお接待を受ける。新築間もない建物で記念に写真を取られる。残り6.6キロピッチを上げ16時30分83番「神豪山一宮寺」を打つ。父は国家公務員であったが定年後母の実家近くに家を建ててそこで余生を過ごした。僕の妹はここ高松市に嫁ぎ、親戚縁者も近辺には多く、長男の僕としては安心ではあったが父の複雑かも知れない心の奥底は今となっては伺い知れない。両親が晩年過ごした家はこの一ノ宮寺から近いのである。
⑤ 今日も蒸し暑くて低いとは言え山越えがあったりしてしんどい歩きであったが早めに計画をすべてこなし、今日行けるなら今日中に両親のお墓参りと考えていた。勿論同行してくれている歩き仲間の他の3人には言えることではない。明日は結願一日前、歩く距離も長い。両親の側まで来ているのに、お墓に行かず、ビールを飲むのはまずいと考えたのである。16時50分、一宮寺から10分の天然温泉「きらら」に投宿。最近出来たらしいが、大きな公衆浴場で温泉を掘り当て、別棟に4階建てのマンションを併せて購入し、ここを宿泊所として改造したものだ。従って部屋はマンション作りである。まだ新しい建物で快適である。炊事設備も付いている。泊り客は歩いて2分の温泉まで行くことになる。夜は2時まで、朝は6時から営業しており、近隣にお住みの方で天然温泉に来る人は多い様子だった。

 ⑥ ここで皆と別行動とし、僕は荷物を整理してタクシーを止めて、両親のお墓に向かった。隣町が「円座町」で、ここで両親は家を建て、過ごした。母の実家はすぐ側にある。ここ「きらら温泉」から車で10分の所にお墓はある。見慣れた光景を通りすぎ、お墓に着く。墓石を洗い、ろうそく,お線香をともし、しばらく両親の墓前に親不孝を詫びる。涙が出てきた。両手でお墓を抱いてしばらく佇む。気分も落ち着き、待たしていたタクシーに乗り、僕が両親の葬儀を出した家の前を通って貰い、宿舎に帰る。家は今もそのまま、木村の表札がかかったままである。この近辺は親戚、知り合いが多い。外は薄暗くなってきており、僕の四国遍路も実質これで終わったかなという感慨が湧いてきた。温泉に入り、ビールを思いきり飲む。さあ、明日は源平合戦,屋島のお寺だ。