2010年10月11日月曜日

10月11日(月)遍路行 後半戦十一日目

伊予・讃岐 十一日目(通算三十二日目) 



10月11日(水) 遍路行  荷物に気をつけろ



 昨日の疲れは少し残ってはいるが、歩けないわけではない。今日は計画段階から工夫を加えている。課題は明日の「横峰寺」である。従って今日は体力温存デーである。小松にはここ又今治と同じく4ヶ所も札所が集中している。60番横峰寺を明日に回して先に61,62,63番と打つのである。このように遍路本のアドバイスがあったので僕もそのようにした。

① 湯の浦ハイツの朝食は7時30分から、朝風呂は6時から。僕はゆったりと朝風呂を使った。とにかく朝の風呂は大好きで、今まで何十年も欠かしたことはない。久しぶりに髭も剃った。さっぱりとして気持ちが良い。8時10分ホテル出発。又来ることがあればここに来たい。支払い10005円、昨夜呑んだ飲み物代含みを考えれば安い。


② 道は196号線、国道に沿って歩くだけ。特に変哲もない道である。旧東予市、現西条市に入る。小松は11キロ先、3時間の距離、11時30分頃には小松駅前に着く予定を立てたが予想は見事に当たる。最近は距離だけ間違わなければ時間予測は可能であり、精度も高い。これが遍路実戦経験の成果である。


③ 看板に東予―大阪オレンジフェリーの字が見える。2時、22時一日2回の便がある。2時に乗れば大阪に帰れると思った。快調に足が前に出る。今日の歌は天童よしみだ。彼女が懐メロなどを歌っているのは聞ける。上手い。最近は天童よしみが多い。不思議に今日は歩き遍路に会わないなと思っていたら小松入り口で一人の休息中のお遍路に会う。高知の人で、30代、服装も靴も靴下も白で決め、車輪つきの小車に荷物を載せ、金剛杖を中心に縛り、そこを持って押して歩いているらしい。アイデアである。頭は丸坊主、真っ黒に日焼け、精悍な感じだ。地図などもすぐ取り出せるところにおいて、几帳面なところは僕に似た所がある。野宿で通して打つという。しばらく話をして僕が先に出る。
④ そうかと思えば又、別の歩き遍路に出会う。こちらは何も持っていない。本当に何も持っていないのだ。持ち物と言えば、頭に巻いている日本手ぬぐいだけだ。これは見覚えのある足摺岬金剛福寺のものだとすぐ分かった。どうしてこの人が持っているのだろう。僕はこういう時に好奇心が湧いてくる悪い癖がある。「お荷物はどうされたのですか?」「僕には荷物はありません。ただ歩くだけです。」「・・・?」どういうことなんだろう。理解が出来ない。野宿でもそれなりの荷物はいるし、身なりは宿泊まりには見えない。深く追求してはならない。「頑張ってください。」で分かれる。この人は「逆打ち」である。
⑤ 11時30分小松駅に着く。宿に荷物を預けてと思い、ビジネス旅館『小松』を探す。すぐ分かったが誰もいない。良く見ると小さな張り紙があって近くの伊藤精肉店に来いと書いている。この旅館はお肉屋さんが経営しているのだった。身軽になって63番「密教山吉祥寺」62番「天養山宝珠寺」61番「栴檀山香園寺」を逆打ち。62番の後でお昼。今日は「回転寿司」とした。お客は多かったが何故かおいしくなかった。
⑥ 最後香園寺となるのだがここで少し驚いた。本堂、大師堂が巨大なコンクリート建物の中に入っており、このような札所は今まで一つもなかった。宿坊も巨大で、いかにも経営が優れている感じだが、恐らく他の札所の顰蹙を買っていないかと他事ながら思った。それくらいすごいお寺である。62番、63番など同じ札所と言っても地味で小さく細々と、という感じでその余りにも大きい隔たりに驚いたのである。歴史であり、積み重ねなのであろうか。


⑦ 歩き遍路の間で交わされている話でいささか気になる話がある。「今治、西条は気をつけろ」、「ちょっと目を離すと何でも無くなる」、というものである。本当の話である。話は前後するが岩屋寺からの道中で逆打ち中の歩き遍路に出会った。この人は九州門司の人で2回目の遍路。今回は完全野宿。その理由はお金のこともあるが前回今治の南光坊ですべて盗まれたらしい。ほんの一瞬のことらしい。直接僕はこの話を聞いたから間違いない。食い詰めたものが本州辺りから流れてきて、ギャンブルの町東予はそういう輩が多いというのだ。怖い話である。荷物をほっぽり投げてうろうろする癖のある僕は要注意だ。十分気をつけたのである。
 ⑧ 実は今日、僕の目の前でそのような事件があった。61番香園寺で歩き遍路の人の山谷袋が無くなったらしい。ベンチに置き忘れたらしいが、すぐに戻ったが既になかったという。顔は青ざめ、落胆した様子は気の毒でしばらく一緒に探してあげたが結局見つからなかった。お茶を飲んだ喫茶店なども一緒に行ってあげたが、無かったのである。大きなお金は入れてなかったらしいが、折角打ってきた朱印の納経帳などが入っているという。何よりの財産ではないか。お遍路のものを盗むとは信じられない話で、許せない。宿の夕食時に聞いたが納経帳はやみ市場で結構なお金になるらしい。確かにコストがかかっているが・・。しかし自分が歩きもせず人のお参りした納経帳を手にして嬉しいんだろうか。


⑨ 一番に宿入り。風呂も最初。洗濯も済ませた。旅日記も書けた。夕食はすごい。お肉屋さんが経営と書いたがメニューはお肉主体(当たり前)肉とごぼうの炒め物、旨い。お肉の刺身、牛肉の寄せ鍋、満足、満足。隣には63歳と66歳のお方、元気そのもの。一人は石鎚山を攻めてきた人、明日攻める人、二人の会話についていけないのだ。すごい。男はこうでなくっちゃ。尊敬するな。でも今回石鎚は敬遠、次回廻し、とにかく石鎚山人気はお遍路世界では高い。僕は歩けるが本格的山登りは経験していないし、勉強が必要と考え、敬遠だ。何かあったらこの先動きが取れないから無謀なことは出来ない。それに一日余分に要る。今更計画変更は出来ない。明日は標高700メートル横峰寺、楽しみもある。荷物をこの旅館に預けて山登りを楽しんでくる積りである。


⑩ それにしてもお四国遍路は上手く出来ている。最高の癒しのルートであり、修行の場である。この旅日記を大切に残し、将来機会があれば一人で、来た道と宿を訪ねるのが楽しみだが、夢の又夢と思っておいた方が良いかも知れない。貴重な記録であり、心の投射、ある時期における木村智彦の足跡書である。しかし色々と考えることの多い毎日である。