2010年10月19日火曜日

10月19日(火)遍路行後半戦 19日目 後一日で満願

伊予・讃岐二国打ち十九日目(通算四十日目)



10月19日(木)   源平合戦の古戦場を歩く



 両親の墓参りを済ませ、気持ちはすっきりした。後は結願(満願)まで今日と明日のみであり、今まで以上に一日を大切に歩きたいと思うようになってきた。名残惜しさが湧いてきているのだろうと思う。今日は高松市郊外、海に近い源平古戦場の屋島、八栗,志度を歩く。

① 天然温泉「きらら」で朝食。550円。宿代は食券切符を買って(4700円)チェックイン時に支払っている。大きなホテル形式であるし、ごちゃごちゃしていないし、快適であった。朝6時過ぎには朝風呂を楽しむ。7時25分出発。今日は27キロと結構長い。


② 11号線沿いに屋島を目指す。84番「屋島寺」が目標だが、屋島が何処にあるか市内では分かり易い。屋根のような平らな山は何処からもよく見えるのである。それを目標に歩けば良い。高松市中心地を抜ける。市内中央部に住んでいる実妹の家の側を歩き、徐々に市外に出る。当初から妹や親戚には内緒で始めた遍路行であったから立ち寄らずに過ぎ去っていった。その方が良いと考えたのである。今回の遍路行はただ四国霊場八十八箇所の札所を打って歩く、ただ歩くという目的で、親戚縁者を訪ねたり,観光地を巡るなども徹底的に排した旅にしたかったからである。しかし当然、妹は元気でやっているだろうか、今どうしているかな?と思うのは兄としての当然の情で、少し心苦しい気持ちもあった。


③ 11時30分、それまでの国道から一挙に急峻な山道になり、結構険しくて息が切れるが40分も歩くと屋島の頂上に出る。時間が短いのが嬉しい。ここが四国霊場八十四番札所南面山「屋島寺」だ。源平古戦場で義経一行が逆落としで攻めた古戦場から見える瀬戸内海の景色を楽しむ。かなり整備が進んでおり立派なお寺になっている。唯一この屋島寺はあのよう有名な鑑真和上が開基されたお寺で、754年朝廷に招かれた和上が奈良に向かう途中にこの地を訪れ山頂北嶺に霊場を開創されたと伝えられている。


ご詠歌は: 梓弓 屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武士(もののふ)


僕もこのお遍路行が終われば本格的に次の仕事に立ち向かって行こうと納経をしながら決意と覚悟を決めたのである。

④ 12時過ぎ下山。麓の「うどんや」で昼食。今日は今一つの味であったが観光地にあるうどん屋は大体このようなものであろう。下山道の途中は記念碑の山で、佐藤継信の墓とか安徳天皇行幸場所とか、まさに平家物語の世界を彷彿とさせる世界である。僕の大好きな情景である。源平古戦場の壇ノ浦を抜けて次は八栗寺に向かう。しかし下りも厳しかった。僕は一度滑って転んだ。同行していた同年代の男性も転び、その人はその時に金剛杖を真っ二つに折ってしまった。グループの4人は「お大師様が守ってくれたんだよ」と皆で言ったのだが、金剛杖が真っ二つに折れるのを目の前で見たのである。
⑤ 屋島寺を降りて、又小高い山に登る。標高223メートルで屋島の280メートルより幾分低い。八栗山の頂上に札所はある。参道を登る途中に面白いヨモギ餅屋があり、映画「男はつらいよ」のでロケに使われた場所だ。このときの主演女優は松阪慶子だと元気なお店のおばさんが言っていた。小休憩しヨモギ餅を食した。旨い餅であった。2時30分、85番「五剣山八栗寺」を打つ。下りが延々と続き、道は又11号線に戻る。琴平電鉄沿いに海の側を歩く。丁度志度湾を取り囲むようにお遍路道を歩く。屋島寺も八栗寺も雰囲気のあるお寺であった。距離は短いが札所は高地にあり、結構歩き遍路には厳しい涅槃の道場である。
⑥ 石工、石芸術、墓石等石で有名な高松市牟礼からさぬき市志度に標識が変わる。ここ志度は平賀源内の生まれた土地である。高松藩の米倉番をしていた平賀家は今日の旅館「栄旅館」の近くにある。16時、86番「補陀落山志度寺」を打つ。琴電志度線の終点に志度寺はある。これで今日は84,85,86番と連続して打った。納経帳もお軸も空白の部分は無くなってきた。後二つの札所で書くところはなくなる。よくも此処まで一つ一つ積み木を積むように来たものだと、我ながら感心する。納経帳もご朱印帳もお軸も無くさず来たものだと思う。肌身離さず持って歩いたからである。

⑦ 今日も昨日と同じ連れ、男2人、女2人、それに今日は同じ年代の男性が一人増える、満願を明日に控えて何故か皆さん、饒舌で明るい。今日の宿も明日の宿も僕が研究して決めたところにするという。少し「うーん」というところもあるが、まあ仕方がないか、旅は道連れ、世は情けと言う。肩書きもキャリアもここでは関係ない。実に素直な会話が楽しめる。しかしどうも昨日から咳が出て困る。別に苦しくはないが、変な咳が出る。風邪気味なのかも知れない。汗をかき、頂上では急激に体温が下がる。それに疲れもあり、おかしくならないほうがおかしい。

⑧ 「栄旅館」、期待を裏切らない旅館である。ここもお年寄りが二人でやっている。料理は素晴らしく、雰囲気も良い。さすがネットで激賞されている旅館である。何より心が温かく感じる。一般的に讃岐の人は人に優しいというのが僕の有している感じなのだが、県民性というのはあるのではないか。当に涅槃の道場という気がする。ここがポイントだ。広い部屋でお布団が二組敷かれていた。通常はこの部屋は二人使用の部屋か。洗濯をし、髭を念入りに剃り、満願の明日に備える。


⑨ 明日は大窪寺で泊まり、翌日徳島の1番霊山寺にお礼参りをするのが普通だという。3ヶ月前に遍路行に出た原点の札所である。土曜日の夜遅く大阪に戻り、出来れば、日曜日は高野山に参拝を計画している。その後家に仕掛かり中の焼き物の素焼き、釉薬かけ、本焼きが迫っている。その後又大阪に来て次の就職先を決めなければならない。どうも寝ていても咳が出る。持参したバッファリンを2錠飲む。夜の1時頃目が覚めたがその後はどうも落ち着いて寝られた。効いたみたいである。あと一日どうしても体を持たせたい。南無大師遍照金剛!